入尾(いりお)城


◆別名

 

◆所在

 

◆交通

 

◆歴史

大治4年(1129年)平良兼の子孫である滝口(平)景貞が築いた城館と言われており、瀬戸市の中でも最も古い城館と言える。

 

立地としては、南には東谷山が聳え、残りの三方は庄内川が蛇行して流れる部分の突端に位置する。川幅が狭まった場所のため、旧来から庄内川を渡る為の、入尾の渡しが存在している交通の要所でもあった。 

 

景貞の子孫は尾張の各地で栄え、近隣では江戸初期に水野陣屋で奉行職を務めた水野正勝、志段味城新居城の両城を支配した水野吉晴や、吉晴の子孫にあたる稲葉城(尾張旭市)の毛受氏(柴田勝家に仕えた毛受勝介の一族)が存在する他、後に大名となった緒川城の水野氏、織田信長に仕えて川村南城主となった水野清忠らも景貞の子孫にあたる。

 

◆現在:

八幡神社一帯が城館と言われているが、遺構などは存在しない。