達智(だっち)屋敷

達智屋敷跡には東郷町役場や体育館などの公共施設が建設されている。

写真はイーストプラザ北側を撮影した物

 

2016年4月25日撮影


◆別名:

 

◆所在:

東郷町春木北反田

 

◆交通:

国道153号線豊田西バイパスを西へ向かい、牛廻間の交差点で県道218号線に入る。

1.5キロ程進むと左手に東郷町役場や体育館、イーストプラザなど公共施設が集まる地区に到着する。

 

◆歴史:

応永20年(1413年)に傍示本城主加藤時利と、時利の娘婿で明知城主の小野田長安(阿願)は浄土宗の名刹である佑福寺の再建を図るため、金華山山麓にある立政寺の智通の高名を聞き、美濃まで赴いて再建を依頼をする。

しかし智通は高齢だったため、弟子の達智を遣わして、佑福寺を再建させたと言われている(異説有)

 

この屋敷は佑福寺が再建されるまでの間、達智が在住した屋敷と言われている。

 

◆現在:

東郷町役場近辺が館跡と伝わるが、遺構などは残されていない。


達智が復興した佑福寺の山門


佑福寺の門前に立つ看板には『達智が諸国巡礼の折にこの地に立ち寄り、加藤時利と小野田長安の帰依を受けて復興させた』とある。


佑福寺本堂の脇には、桶狭間前夜に今川義元が宿泊し、本陣とした事を記す札が立っている。